子供のころ①
子供のころ、小坂家というのは、本当にお金をくれない、買ってくれない家でした。そういう教育方針だったのでしょうが、そのころの話をすると笑える話も・・・。『ホームレス中学生』みたいに本当にお金がなく、ご飯も食べられないというわけではなかったのですが、お小遣いが少なかったので子供なりに苦労しました。高校卒業後は改善しましたが、それまでは服さえ買ってもらえず。そのため随分色々なバイトをしました。初めてのバイトは小学校5年で収穫したぶどうの箱作り。(友人のうちで、親に内緒で。)1日半で4400円もらった気がします。小学5年の月の小遣いが¥500だったから子供にとっては大金でした。小学生でバイトなんて不良ですねー(笑)あっ厳密にいえばそれより前にクワガタをとりにいってペットショップにもっていき、1ひき30円とか稼いでいたから、初めてとは違うかな。その後は中学で夏祭りの旗持ち、ブドウの収穫。高校で年賀状配達、ゴルフのキャディー、鶏舎の糞掃除(これがそうとうきついし、においがとれない)、JAで収穫された米袋の搬入、出荷(これは(8月に窓のない倉庫で、20キロ?の袋をつみあげていくので、朝と夕方で体重が3キロくらい変化する)。高卒後はフラワーショースタッフ、巨人軍のユニフォームのクリーニング、ミスタードーナツ、ファミリーレストラン、バーテンダー、リゾートホテルの配膳係、喫茶店、プランター製作など他にもさまざま。あのころは体力がありあまっていたので、なんでもできました。しかし先日の引越し屋さんのパワフルな働きをみて、ちょっとむりかな、とおもってしまいました。24歳のときのプランター製作(セメントでできており、1個が30キロくらいあるもの)で腰を痛めていらい、ずっと腰痛になやまされています。
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