市橋容疑者の告白本
先日も書いたが、この本今かなり売れているらしい。
私も発売日の翌日に本屋に行ったのだが3件いって全滅。すべて売り切れ。
その1w後、手に入れた。
もう既に初版本ではなかった。
その日はめずらしく夕食に日本酒を飲んだため、夜中3時ごろにはのどが渇いて目が覚めてしまった。
そのまま寝付けなかったので、その本を開いたのだが、そのまま読みふけるような衝撃的な内容であった。
この本、ほとんど一人称で書かれているのである。主人公は勿論、自分のことを『吾輩』とよぶ猫ではない。市橋本人である。
内容はマンションを飛び出してから、港で警官に見つかるところまで。なぜ殺すに至ったか、どういう手口だったか、それから港で発見されて
「名前は何だ!」と警官にきかれて以降などは何も書いていない。
逃亡中の心境と逃亡生活に関して書いてある。
この本は一人称で・・・・と書いたが、容疑者はできるだけ他人と接せず、会話をしない生活をしていたので当然である。
この男のやったことは絶対に悪い。ひどい犯罪を犯し、2年7か月もの間にげまわっていたのだから、情状酌量の余地もないだろう。
しかし、しかしである。
何か切ない。
彼の書いた内容に大きな脚色がないとして、本の内容をそのまま受け取ったとして・・・・、犯人にほんのわずかの同情を覚えてしまうのである。
彼は逃げている途中自分で、唇をナイフでそいだり、鼻を縫い針で縫い付けて自らの形成術をおこなっている。
生活はホームレス以下の状況もしばしばあった。
常に犯人だとバレはしないか、びくびくした生活をおくり、ヘビや虫までのも食料にした。
だからといって許されることではないし、当然の報いである。
だがもしかすると、この容疑者、実はそれほど悪い人間ではないのかもしれないとさえ思ってしまう。秋葉原の犯人などとは明らかに違う気がする。
はじめはキツネ目でいかにも凶悪犯人と思われていたが、もともとはそうではなかったのではなかろうか。
この本を読んだ方は、私の一見無謀な考えが理解できるのでは・・・。
なぜなら、読み進めるにしたがって
自分が市橋になっているような錯覚をおこし、どこかしら「逃げないとつかまるぞ!逃げろ、逃げなきゃという気持ちになっていたのだ。
私が読んでいたのは、まだ夜があけない薄暗い時間。そのせいもあり自分が暗闇の中におとされ、逃げ惑う気分になった。
何度もいう。彼の犯したことは絶対にいけないこと、許しがたいことである。
しかし、この本をよむと何か言い表せない切なさが残るのだ。
読み終わった後に出た溜息の意味は、私にもわからない・・・。
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