弁当のトラウマ
私の場合、幼稚園はお弁当、小学が給食、中学が給食、そして高校は弁当でした。
純朴な高校時代、弁当の中身は数学の方程式よりも大切なこと。
食っても食っても腹が減ってたな。
わたし、高校時代、弁当を左手で隠して食べていました(笑)なんか暗いでしょ。
なぜって?
うちの母、料理上手なんですが、毎日の弁当はかなり地味だったんです。そりゃまあ、母は毎朝5時半くらいに起きて朝食の準備や、弟たちや父の身支度までしなければいけないわけですから、贅沢はいえません。今考えればありがたい話です。
でも、とにかく女子に見られると恥ずかしい色合いだったわけですよ。
基本冷凍食品なんてつかいません。着色料も禁忌です。
ああいうものって手作りより形も色もきれいじゃないですか。赤いウインナーとか、小判型のカニクリームコロッケとか。
家の母の弁当は、おかずが3品くらいで・・・。
煮物、卵焼き、ホウレンソウのおひたし、に白ごはんと梅干・・・・・みたいな・・・・。
弁当箱はハードカバーの本のような形で、ごはんとおかずを並列するタイプ。
持ち運ぶのに当時流行っていた手作りのズタ袋なる弁当袋にいれ、それを学生鞄に。半分のスペースが教科書。
(ちなみにズタ袋とは、巾着袋みたいなもので、女子からプレゼントされるのが当時の男子のステイタス。笑。名前をキルティングしてあったり・・・・。これの左右に2本ひもをつけてリュックタイプにしたものは自慢の一品)
こんなの↓
↑今考えると、カッコ悪くてゾッとしますが・・・・(汗)
昼食の時間に蓋をあけると、上記のようなおかずですから、色合いはまるで巣鴨の洋品店。
さらに
弁当をたてに入れているので、お昼に蓋をあけると、煮物の汁が卵焼きまでを茶色に染色。
国境をこえ領海侵犯してきた煮物の汁は、白米を邪悪な色に変えてしまっています。
これは弁当箱という小宇宙での一種の竹島問題
国内の恥を世界にさらしてなるものか!と私の左手で防波堤を築いていたわけです(笑)
女子にみられると恥ずかしい弁当・・・・・・。
弁当から漏れ出したあいつらは、時には教科書までを汚してしまうんです。
「小坂の日本史の教科書、なんで茶色いんじゃ?」
そういうときは家に帰るなり、反抗期の私は
「おい!かあちゃんよ!汁物を弁当にいれないでくれ!」
と母に毒づいていたわけです。
こういう弁当のトラウマのせいで暗い性格に育ったのかもしれません(涙)
弁当のトラウマ、弁当のトラウマ・・・・・・・
アクアではスタッフルームで一緒に昼食をとっていたのに、
最近、時々院長室で見られないように食べている私・・・。
弁当のトラウマ、弁当のトラウマ・・・・・・
「おい!嫁よ!」
「恥ずかしい弁当を作らないでおくれ!」
↑海苔が体で、よく見るとシメジが手。
二人はカップルという設定らしい・・・・(涙)
弁当のトラウマ、弁当のトラウマ・・・・・弁当の呪い、弁当の呪い・・・・(涙)
43歳の秋、弁当が怖い・・・。
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