信念を通すべきか?、空気を読むべきか?
前回のブログでは君が代の起立問題のことを、私ごときが知ったかぶりでえらそうに書きました。
何度もいいますが、思想批判ではありません。
君が代の起立問題って私立でもあるんでしょうかね?聞いたことがないですが、きっとないんじゃないかな・・・。
私の10代のころは、ちょっと反発的なほうがかっこいい!という風潮が流行りました。先生や親の言葉にも「チェッ」と斜に構えた態度。不良がモテた時代でもありました。私の時代なら尾崎豊。(彼の詩は今の若者には全く共感できないらしいですけど。)
60年代の安保闘争や学生運動(勿論私はしりません)、天安門事件など自分の利害を顧みず正義のため、信念のために戦うことが当たり前のようなこともありました。
しかし、しかし、現代社会において、さらに社会人として仕事をしはじめると、時には自分の信念を曲げなければならないことが多々あります。信念を曲げること、長いものに巻かれることによって物事がプラスに転じたり、大きな利益をもたらす場合は、自分の信念なんて「くそっくらえ!」にさえなるのです。
持つべきプライドと捨てるべき(くだらない)プライド
それをはき違えないようにしないといけません。歯科診療でもおなじこと。
治療プランAの方が絶対にいいと私が思って説明したとしても、患者さんがAを望まず、治療プランBや、絶対に私がお勧めしない治療を希望された場合、無理矢理に自分の考えを推し進めるわけにはいきませんし、仕方なく、お勧めしないプラン(保険治療での粗悪な材料をつかった治療とか・・・)をやらなければいけないことも日常茶飯事。
たとえば、かぶせをする場合、歯石をとったりして、口の中の環境を整えてから、かぶせのかたどりをするのが大原則なんですが、歯石なんてとらなくていい!と拒む方もいらっしゃいます
営業職のかたならば、理不尽な相手にも頭を下げなければならないこともあるでしょう。
今はなき、島田紳助さんがいいことを言っていました。
何のために学校にいくか?
勉強を学ぶため?
スポーツを学ぶため?
友達をつくるため?
いやいやそんなことじゃないんだ!学校に行かなくても勉強もスポーツもむしろ高度な教育をうけられる。友達だってできる。
学校には理不尽な先生や、校則、同級生がいる。
でも社会に入ると、もっともっと何倍も理不尽な人や出来事と遭遇していかなければいけない。学校というのは、そんな理不尽な社会に入る前の準備の場所なんだ!・・・・・・・と
なるほど、奥が深い。
信念を曲げてはならない。でも信念を曲げなければならないときもあります。
どっちが良かったかなんて、結果でしかわからないかもしれません。。職を失ったり、家族や恋人を失ったり、財産をうしなっても突き通す信念があるのなら、それは賞賛に値すること。古の革命家と同じ。
ちなみに山本太郎さん、私は好きですね。
昨年単館上映されたこの映画、私みていないんですが、信念をとるか?、それとも空気を読むべきか?という意味ですごく興味があります。↓(個人的にはラジオ体操くらいすればいいのに!って私のようなちっぽけな人間はそう思ってしまいます。世の中にはいろんな人がいるな!って。
http://videotopics.yahoo.co.jp/videolist/official/movie/p7b72fa1a75a8962486178ba0c3d6777d
ブログを書きはじめて10年以上経ちました。プライベートな事や歯科治療・地域の話題など、書いた当時は一般的だった内容や表現が今では適切ではないものもございます。過去の記事をご覧になる際は予めご了承ください。